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楽しみながら学ぶ 建 築 楽 舎
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2009年度に開催した「活きつづける戦後の住まい」シリーズを契機として開催している建築文化を楽しく学ぶ「講義のついた1日又は、半日見学会」です。数回にわたるシリーズで行う場合もあります。 どなたでも参加できます。 |
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■建築楽舎 第1回 「活きつづける戦後の住まい」 2009 | |
■建築楽舎第2回 「墨東文化が活きづいている料亭 花の里」 2010 | ||
■建築楽舎第3回 「昭和初期の木造建築−−−湘南 鵠沼を歩く」 2011 | ||
■建築楽舎 第4回「世田谷 二子玉川地区の建築文化−−晩秋の見学会と夕べの集い」2012 | ||
■建築楽舎 第5回「小田原市内の文化財建造物の見学とミニシンポジウム」2013 20130327 共催:NPO法人 小田原まちづくり応援団 |
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■建築楽舎 第6回「建築家 吉田五十八生誕120周年・没後40周年記念事業<世田谷の秋: ^股邸見学と講演そして音曲を楽しむ>」 共催:一般財団法人 世田谷トラストまちづくり 20141101 |
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■建築楽舎 第7回「近代数寄屋で聴く建築の技と琴・ヴァイオリンの調べ」 :猪股庭園・旧猪股邸に遊ぶU 共催:一般社団法人 世田ヶ谷トラストまちづくり 20151107 |
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■建築楽舎 第8回「染井吉野の^股邸で香木を楽しむ」:猪股庭園・旧猪股邸に遊ぶV 共催:一般社団法人 世田ヶ谷トラストまちづくり 20160403 |
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■建築楽舎 第9回「数寄屋と共鳴する尺八と箏のハーモニー」: ^股庭園・旧^股邸に遊ぶ W 共催:一般社団法人 世田ヶ谷トラストまちづくり 20161120 |
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■建築楽舎 第10回「数奇屋造で古典落語を聴く」:^股邸園・旧^股邸に遊ぶ X 共催:一般社団法人 世田ヶ谷トラストまちづくり 20171203 |
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■建築楽舎 第11回「数奇屋造で説経節を聴く」:^股庭園・旧^股邸に遊ぶ Y 共催:一般社団法人 世田ヶ谷トラストまちづくり 20181202 |
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■建築楽舎 第12回「近代数寄屋で聴くチェロの調べ」:猪股庭園・猪股邸に遊ぶ Y 共催:一般社団法人 世田ヶ谷トラストまちづくり 20191110 |
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■建築楽舎2023 第13回「旧芝浦協働会館(旧 検番(見番)見学と伝統芸能を楽しむ会 共催:ギャラリーエフ浅草 20230923 |
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■建築楽舎 第1回 「活きつづける戦後の住まい」2009 ●百年前の民家を蘇生:M家住宅(木造1901→1976、埼玉県所沢) ●在来工法の一典型:OH家住宅(木造 1976年、埼玉県高麗川) ●センチュリーハウスは可能か−− 200年住宅を云う前に ●数寄屋住宅の保存と活用:旧角川邸住宅(木造・1955年、東京 杉並) ●構造家の自宅:織本家住宅(RC造・1959年、東京 豊島区) ●粋を凝らした職人達の技:今半別館(木造1948年) ●「日常の中の異空間・銭湯」 東京銭湯の展開”宮造り”:明神湯(木造・1957年) ●大学セミナーハウス本館(RC造・1965年)・セミナーハウスの構造につて ●戦後建築の流れ プログラムまとめ *戦後の住まい年表 |
粋を凝らした職人達の技:今半館 (昭和23年1948;東京浅草) |
東京銭湯の開”宮造り”明神湯: |
在来工法の典型:大澤家住宅 (昭和51年1976;埼玉県高麗川 設計監理 中善寺登喜次) |
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数寄屋住宅の保存と再生:旧角川邸 (昭和30年1952;東京杉並区 設計監理 加倉井昭夫 改修設計監理 (株)建文 現 杉並区立 角川庭園・幻戯山房) |
民家蘇生:町田邸(埼玉県狭山、 明治34年1901→昭和51年1976改修 設計監理 中善寺紀子 |
大学セミナーハウス本館(八王子市、RC造昭和40年1965;吉阪隆正+U研究室、構造設計 田中弥寿雄) | ||
構造家の自宅 織本家住宅(RC造 昭和34年1959 東京豊島区 設計監理 織本道三郎建築事務所) |
センチュリーハウスは可能か:高度成長期末期の大規模分譲地(昭和48年1973頃 東京町田市 |
■建築楽舎 第1回 「活きつづける戦後の住まい」2009 ●百年前の民家を蘇生:M家住宅(木造1901→1976、埼玉県所沢) ●在来工法の一典型:OH家住宅(木造 1976年、埼玉県高麗川) ●センチュリーハウスは可能か−− 200年住宅を云う前に ●数寄屋住宅の保存と活用:旧角川邸住宅(木造・1955年、東京 杉並) ●構造家の自宅:織本家住宅(RC造・1959年、東京 豊島区) ●粋を凝らした職人達の技:今半別館(木造1948年) ●「日常の中の異空間・銭湯」 東京銭湯の展開”宮造り”:明神湯(木造・1957年) ●大学セミナーハウス本館(RC造・1965年)・セミナーハウスの構造につて ●戦後建築の流れ プログラムまとめ *戦後の住まい年表 |
粋を凝らした職人達の技:今半館 (昭和23年1948;東京浅草) |
東京銭湯の開”宮造り”明神湯: |
在来工法の典型:大澤家住宅 (昭和51年1976;埼玉県高麗川 設計監理 中善寺登喜次) |
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数寄屋住宅の保存と再生:旧角川邸 (昭和30年1952;東京杉並区 設計監理 加倉井昭夫 改修設計監理 (株)建文 現 杉並区立 角川庭園・幻戯山房) |
民家蘇生:町田邸(埼玉県狭山、 明治34年1901→昭和51年1976改修 設計監理 中善寺紀子 |
大学セミナーハウス本館(八王子市、RC造昭和40年1965;吉阪隆正+U研究室、構造設計 田中弥寿雄) | ||
構造家の自宅 織本家住宅(RC造 昭和34年1959 東京豊島区 設計監理 織本道三郎建築事務所) |
センチュリーハウスは可能か:高度成長期末期の大規模分譲地(昭和48年1973頃 東京町田市 |
「活きつづける戦後のすまい」プログラム
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*本テーマに関しては、建築学舎2009報告会を、2011年6月26日(日) WACC011年度総会終了後、
プログラムを手元に、各講師から、スライド及び戦後の住宅年表資料等を交えて報告・プレゼンテー
ションが行われました。
建築楽舎 <戦後の住まい年表>
作成:200912 NPO法人 木造建築文化総合センター
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■建築楽舎2009セミナー・見学記1.百年前の民家を蘇生:M家住宅
漆塗り仕上げの欅大黒柱と梁、唐津焼黒色タイルの床、木根太・梁・板材を露出させた天井、和風タピストリー、雪見障子からなる大きな居間空間
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■建築学舎 第3回 在来工法の一典型:OH家住宅(木造・1976)
土曜講座「建築学舎<活き続ける「戦後の住まい」>の第3回講座「在来工法の一典型:OH家住宅(木造・1976年)」現地視察は、夏の盛り8月1日に、中善寺孝敏氏の案内のもと、高麗川(埼玉県日高市)にある築33年になる大澤邸を訪問した。 建築家中善寺登喜次氏の設計監理によって1976年に建てられたこの大澤邸住宅は、当NPO法人 木造建築文化総合センター発行の建築書籍「木造建築の仕組み*の中で、一般図、軸組解説図、詳細図、部分解説図など設計から構法、ディテールに至る一連の設計図面作成のモデルとなった住宅である。 *中善寺登喜次著、相模書房刊
JR川越線と八高線が連絡している高麗川駅に1時集合、車に分乗し数分で目指す大澤邸に着く。 江戸時代から農業の盛んであった土地柄であり、近所には年代を重ねた建物が健在である。 挨拶もそこそこに家の中に通してしていただく。 ご夫妻の厚意により、家の中をくまなくご案内いただく。居心地のよさにメンバー全員心ゆくまで見学させていただいた。 この住宅は、現ご主人の先代と設計者中善寺登喜次氏とのご関係において建築されたが、設えの確かさが全てにわたって行き届き、永年にわたる手入れのよさとあいまって、住まい手に日々愛され、大事にされてきたことをうかがわせる。 外観は「清楚な佇まい」、まさに設計者の習作という言葉が今もってふさわしい。
居間兼応接空間と茶の間・奥の間(ランマは透かしで天井は一体化)の3室を通しで、 あるいは、各2室相互を必要に応じて一体空間にできる広がりのある心地よい住空間を 作り上げている。 居間の南面は大きく引込めた大開口部で、外側上部に日射遮蔽装置。 むろん書院をもつ続き和室の構成は「住まい」の中の空間として更に見事である。、
大工の丁寧な仕事ぶり、、内部設え・収まりの繊細さも素晴らしい。、 2階の3段下がったところに設けたUタ−ン踊り場と1階上がり口の4段曲がりを合わせもつゆったりした勾配の幅広の階段は快適で、住まいの階段機能として得難いレベルを提供している。
また、外壁の塗り壁(モルタル+塗り)には現在もひび割れがなく、建築時のまま現在も健在な状況にあり、左官の丁寧な仕事ぶりに感心する。(メンテのペイントなど塗ってない)。 また外壁柱型と塗り壁(モルタル下地)の接する縦目地部分は漆喰納め?であり隙間や目地亀裂の発生がなく33年後の現在もも劣化がしていない。現代建築では当たり前のシーリング材やコーキング材のたぐいは使用されてない。
ちなみに本住宅の竣工時写真と33年後の今回の見学会で撮影した写真を比較してみると、住まい手が住宅という無機物に息を吹き込み、持続させ、今日まで生き生きと生気をみなぎらせて、心地よい「人間の住まい」を作り上げてきた事が解る。
そして全てにおいて設計と監理の綿密さをうかがわせ、「木造建築の仕組み」教科書に全編登場するにふさわしい在来工法による戦後和風住宅建築のモデルといえよう。 (JS記) なお、引用した竣工時の写真はNPO法人 木造建築文化総合センター発行の建築書籍「木造建築の仕組み」(中善寺登喜次著 相模書房発売)に掲載されているものである。 また、大澤邸を辞した後、近くにある高麗神社、高麗家住宅(重要文化財)、聖天院(総欅造り)を拝観した。 |
外壁柱(WOOD)と塗り壁(モルタル下地)の接合部(タテ目地部)は漆喰納めであるが、30数年後の今日、隙間の発生や目地の亀裂は全くみられなく(劣化がない)綿密で丁寧な仕事ぶりがうかがえる。コーキング材やシーリング材の使用は一切無い。 |
■建築楽舎2009セミナー・見学記4数寄屋住宅の保存と活用:旧角川邸(木造1955東京 杉並区) ;現 杉並区立角川庭園幻戯山房 設計 加倉井昭夫)
土曜講座「建築学舎<活き続ける「戦後のすまい>」の第4回講座「数寄屋住宅の保存と活用」現地視察と講義は、9月12日に、建築文化研究所長 福田省三氏講師のもと、杉並区荻窪にある旧角川邸において開催された。 担当講師の福田氏が準備されたセミナーのタイトルは、「事例 幻戯山房−旧角川邸を通して戦後住宅と再生を考える」である。
旧角川邸は庭とともに杉並区が角川書店創立者で俳人でもある故角川源義(げんよし)氏(1917−1975)の遺族から2005年に寄贈を受け、改修整備したうえ2009年5月に角川庭園・幻戯山房「すぎなみ詩歌館」として公開されたが、福田省三氏は、この旧角川邸建物調査等業務を受託担当した経緯がある。
当日は11時に荻窪駅集合、総勢11人。暫時歩むと次第に閑静な住宅街となり、間もなく旧角川邸・庭園出入り口に到着。建物の玄関までは独特な折れ曲がりスロープのアプローチ。 玄関ホール(広間)、展示室(元は応接室)を経て詩歌室−1に入り、福田氏による今回主題の講義となった。 南側庭に面したこのスペース(詩歌室)は、改修前は総ガラス戸からなる和室(居間)と食堂であった。
○角川庭園の概要:「杉並区立角川庭園・幻戯山房〜すぎなみ詩歌館〜のパンフレット」 から引用するとつぎの とおりである。
・建設年:昭和30年(1952)
・設計者 加倉井昭夫(1909−1988)(建設当初)
・敷地面積1,370.66u
・床面積:327.72u
・建築面積:230.81u
・外部仕上げ:屋根:桟瓦葺き一部腰葺銅板一文字葺
棟造り:熨斗瓦三段積み、 下屋:桟瓦葺き一部腰葺銅板一文字葺熨斗瓦二段積み
外壁:縦板張・じゅらく塗り・石張り
軒天井:屋根及び下屋下地表し
○福田のさんの講義のなかからそのままいくつか要点を掲げると:
・近代数寄屋表現、民芸運動の影響も見られる ・日本の伝統的玄関・広間の重視、
・玄関脇南側の応接兼書斎・古い日本の住まいの室内構成;2階客間・次の間二間続き(天井空間は連続し一 体的室内空間を構成)
・居間・茶の間:居間は中央部で東西に長く、可能な限り広い区画をもたないのびのび とした空間構成 ・食 堂の位置も南側庭に面し、ふすまを開ければ居間と一体化。その天井仕上げは民家風の意匠。 更に庭 との一体化
・寝室の独立 夜間通風を考慮した1階和室
・台所、浴室、便所、洗面所等各室計画における本来的な配慮
・和室建築であるが、真壁式、大壁式を意匠表現としても適宜柔軟に併用。
−−−−等々加倉井昭夫氏の各室・空間そのあり方に対する設計思想を説かれた。
・和室聚楽仕上げの壁は、内外とも木摺下地。
・外周部に設けた何本もの引き戸建具。近代数寄屋の特徴といわれるが、引き込み建具は非常に多い。
・内部工事では、突板の質感の凄さ。
・加倉井氏の著作「日本の室内空間」(昭和43年、K.K主婦と生活社発行)では、上記などの他に、畳、敷物、壁 ・壁襖の裂地、天井、造作、戸、襖、障子、窓、床の 間、木材、竹材、照明、漆、金工など多方面について述
べられているとのこと。 ・歴史が育んだ日本建築の美しさへの設計者の思い。
・施工は水沢工務店
・後の増築部書庫は鉄骨造
・改修にあたっては、特に耐震性向上と水回りを重視。
以上創建時の様子、増築工事の様子、 修理履歴そして、今回保存・公開に当たっての 改修についてそれぞ れ具体的な内容を伺うことができた。
なお、あとで気づいたことであるが、南面2階に長大に設けられたキャンチバルコニー(内に開かれ、外に閉じた屋上庭園の思想)についていえば、 昭和55年ごろ先導的プ レファブ住宅が導入して、低層住宅にデザイン的にも機能的にも優れていため一般住 宅にも広く普及していった建築要素が、すでに加倉井氏によってこの時期に採用されて いたことは特質に値しよう。
また、入曽の町田邸(改修民家)で感じたことでもあるが、木造建築文化の価値を保つ 視点で見れば、施主と設計者による「先祖の遺産を受け継ぐ」思想のコラボレーション が如何に大切かを感じさせる見学会であった。
角川庭園見学後はすぐ近くにある昭和56年開園の太田黒公園に立ち寄り、昭和8年に 建築された音楽評論家太田黒元雄氏の仕事場であった記念館(木造、レンガ色の外観)を見学。外周部の収まりディテールに感服。 帰途の喫茶室で、今日の講師福田さんを 交えてしばし歓談の後、荻窪駅にて解散となった。
以下に写真をかかげる。
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展示室:元は応接兼書斎 | 茶室 | 何本もの引き戸の戸道 | ||
●2階キャンチバルコニー空間:外に閉じ、内に開かれたバルコニー空間の草分け的存在:戦後日本に普及し、今日当たり前につくられているバルコニー形態のパイオニアである | ||||
杉並区立太 田黒公園へのアプローチ | 太田黒元雄邸記念館太田黒元雄邸 記念館 |