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   ■建築楽舎 第1回 「活きつづける戦後の住まい」2009

  ●百年前の民家を蘇生:M家住宅(木造1901→1976、埼玉県所沢)
  ●在来工法の一典型:OH家住宅(木造 1976年、埼玉県高麗川)

  ●センチュリーハウスは可能か-- 200年住宅を云う前に
  ●数寄屋住宅の保存と活用:旧角川邸住宅(木造・1955年、東京 杉並)
  ●構造家の自宅:織本家住宅(RC造・1959年、東京 豊島区)
  ●粋を凝らした職人達の技:今半別館(木造1948年)
  ●「日常の中の異空間・銭湯」  東京銭湯の展開”宮造り”:明神湯(木造・1957年)
  ●大学セミナーハウス本館(RC造・1965年)・セミナーハウスの構造につて
  ●戦後建築の流れ  プログラムまとめ


   *戦後の住まい年表 
 
  粋を凝らした職人達の技:今半館
  (昭和23年1948;東京浅草)
 

東京銭湯の開”宮造り”明神湯:
   (昭和32年1957;東京大田区)

 
在来工法の典型:大澤家住宅
(昭和51年1976;埼玉県高麗川
設計監理 中善寺登喜次)
 
    数寄屋住宅の保存と再生:旧角川邸
(昭和30年1952;東京杉並区
設計監理 加倉井昭夫
改修設計監理 (株)建文
現 杉並区立 角川庭園・幻戯山房)
 
民家蘇生:町田邸(埼玉県狭山、
明治34年1901→昭和51年1976改修 設計監理 中善寺紀子
  大学セミナーハウス本館(八王子市、RC造昭和40年1965;吉阪隆正+U研究室、構造設計 田中弥寿雄)  
   
構造家の自宅 織本家住宅(RC造
昭和34年1959 東京豊島区
設計監理 織本道三郎建築事務所)
   センチュリーハウスは可能か:高度成長期末期の大規模分譲地(昭和48年1973頃 東京町田市  

     



                                                    「活きつづける戦後のすまい」プログラム

   
 回  月・  日      学習形態       内 容/見学先の特徴・名称(構造・築年)   場所     担 当 講 師
 1 07・04   講義  「民家蘇生術」/センチュリーハウスは可能 か;200年住宅を云う前に  WACC   中善寺多加敏、斎藤錠司
 2 07・18    見学    百年前の民家を蘇生:M家住宅
      (木造1901→1976年)
  入曽 中善寺多加敏(民家蘇生テクノ)
 3 08・01    見学    在来工法の一典型:OH家住宅
      (木造・1976年) 
 高麗川 中善寺多加敏(民家蘇生テクノ)
 4 08・22    見学     「センチュリーハウスは可能か--        200年住宅を云う前に」    町田  斎藤錠司
(オーパスハウジングアソシエイツ研究所) 
 5 09・12   見学    「数寄屋住宅の保存と活用」:KK家住宅      (木造・1955年)   杉並   福田省三(建築文化研究所) 
 6 09・26   講義     ・ 「日常の中の異空間・銭湯」
   ・ 構造家の自宅:OR家住宅 
WACC    米山 勇(江戸東京博物館)
 織本真一郎(織本総合設計)、 十代田知三 
 7 10・10    見学    構造家の住宅:OR家住宅
     (RC造・1959年))
千早町   十代田知三(芝浦工業大学名  誉教授) 
 8  10・24  見学     粋を凝らした職人達の技:今半別館
      (木造・1948年) 
 浅草   稻葉 和也(建築史家) 
 9 11・07   見学     東京銭湯の典型”宮造り”:明神湯
       (木造・1957年) 
 雪谷   十代田知三 
 10 11・21   講義
 見学 
  大学セミナーハウス本館(RC造・1965年)     の構造について
     同上見学  
八王子   田中弥寿雄
 (早稲田大学名誉教授)
 十代田知三
 11 12・05    講義    「戦後建築の流れ」見学についての
                 自由党論
 WACC  稻葉和也 十代田、斎藤 
 

                           

                                        *本テーマに関しては、建築学舎2009報告会を、2011年6月26日(日) WACC011年度総会終了後、
                                       プログラムを手元に、各講師から、スライド及び戦後の住宅年表資料等を交えて報告・プレゼンテー
                                       ションが行われました。

 





                                        建築楽舎   <戦後の住まい年表>  
                                                    
作成:200912 NPO法人 木造建築文化総合センター 

     
     

                                         

 


 

 

■建築楽舎2009セミナー・見学記1.百年前の民家を蘇生:M家住宅
         (木造1911→ 1976 埼玉県所沢市
         改修設計監理:中善寺紀子 1976


今年度新企画である土曜講座「建築楽舎<活き続ける戦後のすまい>」の第一回現地見学会が中善寺
多加敏氏の案内で7月18日(土)に開催された。 見学先は埼玉県狭山市入曽にある100年前(1911、 明治44年)に建てられた民家を1976年に中善寺紀子・多加敏氏夫妻が設計監理を行って改修蘇生させた「町田邸」である。これに先だって7月4日(土)には民家蘇生術の講義と町田邸改修に関する事前解説が行われた。
施主の町田家は文久年間から180年あまり、代々製茶事業を続けられ、更に現在は教習所などの経営わせ行っている旧家の事業家である。「先代、先々代から受け継いでいけるものは受け継いでいきたい」という施主の強い意志のもと、この民家蘇生が実現したものである。
西武新宿線で所沢をすぎてまもなく、狭山市入曽駅に近づくと車窓の風景は急に緑が濃くなり、狭山茶の産地にきたことをうかがわせる。 入曽駅に13時集合、世田谷区からペアで特別参加された方も加わり総勢8人。 10分ほど歩き町田茶園本舗に着く。 邸内に案内され、改修で東側に位置替えとなったキーポイントの一つである新しい玄関から入り、これまた最大の蘇生改修のコアとなったメインの接客空間を兼ねる大きな居間に通していただいた。 まず目に入ったのは、無垢の欅に漆塗り仕上げをした堂々たる大黒柱と梁であった。ご夫妻から30年前の改修の経緯、改修に伴う先代とのご関係から
今日までの四季にわたる住まい心地、外周建具や暖冷房設備などの変遷などを詳しく伺うことができた。 横長の40数㎡の居間兼接客空間と背後の20㎡あまりの食堂とは取り外しのできる、習作和風のタペトリーで区切られる。春と秋の彼岸ごとにとりかえて季節感を出している。 居間は改修にあたり、座の生活からイスの生活への移行に伴って一段の床下げを行い、唐津焼の黒タイル仕上げとし、大変落ち着いた居心地のよい空間となっている。 1階の全ての空間を見せていただいたが、そのうち、東側の8畳和室はほとんど改修以前の元のままとのこと、100年前に建築したとは見えないほどきれいに保たれている。なかでも、庭につながる独特の、細やかなデザインの書院窓、中央にガラスの入った雪見障子、その中で左右に引き開きできる小障子など非常に工夫された見事な座敷であった。 
子供さん達も独立したりし、生活スタイルは年齢・年とともに変わるので全てが当初の設計とおりにはいかない点もあるとのこと。なお屋根裏の書庫は当時の設計のままのため、暑すぎて使われてない。
伝統を保持しながら、時代の進化に合わせて家を保ってゆくことの重みと、結果として備わってゆく風格に一同感じ入った。
このように価値ある建物を蘇生してゆく設計者の役割は、施主の家の持続性に対する思想・コンセプト更には造形美的能力とともに相まって初めて果たしてゆけるものであることが実をもって理解できた
次第である。
見学会の後、改めて中善寺紀子氏著 私の民家改修日誌「よみがえる民家」(相模書房刊)のトップを飾る大作「よみがえった百年の製茶農家 町田さんの家」をひもといたが、設計監理者中善寺さんの極めて綿密にして丁寧な民家改修作業のプロセスと施主の町田さんとの打ち合わせや折衝の課程を経て見事に蘇生した100年民家建築の価値がなんと重いことか、そして「受け継いでいかれるものは、受け継いで行きたい」という施主の意志とこれに応える設計監理者の考えとノウハウが如何に貴重なことかとあらためて感じ入った次第である。 持続させたいものである。 なお今回見学した町田邸設計監理と施工に関する詳しい内容は同書に掲載されている。                                                              (J.S記)

漆塗り仕上げの欅大黒柱と梁、唐津焼黒色タイルの床、木根太・梁・板材を露出させた天井、和風タピストリー、雪見障子からなる大きな居間空間

     
     


   
 



   

■建築学舎  第3回 在来工法の一典型:OH家住宅(木造・1976
                               
旧大沢邸  設計監理: 中善寺登喜次

 

土曜講座「建築学舎<活き続ける「戦後の住まい」>の第3回講座「在来工法の一典型:OH家住宅(木造・1976年)」現地視察は、夏の盛り81日に、中善寺孝敏氏の案内のもと、高麗川(埼玉県日高市)にある築33年になる大澤邸を訪問した。 建築家中善寺登喜次氏の設計監理によって1976年に建てられたこの大澤邸住宅は、当NPO法人 木造建築文化総合センター発行の建築書籍「木造建築の仕組み*の中で、一般図、軸組解説図、詳細図、部分解説図など設計から構法、ディテールに至る一連の設計図面作成のモデルとなった住宅である。   *中善寺登喜次著、相模書房刊

 

 JR川越線と八高線が連絡している高麗川駅に1時集合、車に分乗し数分で目指す大澤邸に着く。 江戸時代から農業の盛んであった土地柄であり、近所には年代を重ねた建物が健在である。  挨拶もそこそこに家の中に通してしていただく。 ご夫妻の厚意により、家の中をくまなくご案内いただく。居心地のよさにメンバー全員心ゆくまで見学させていただいた。 この住宅は、現ご主人の先代と設計者中善寺登喜次氏とのご関係において建築されたが、設えの確かさが全てにわたって行き届き、永年にわたる手入れのよさとあいまって、住まい手に日々愛され、大事にされてきたことをうかがわせる。

外観は「清楚な佇まい」、まさに設計者の習作という言葉が今もってふさわしい。

 

居間兼応接空間と茶の間・奥の間(ランマは透かしで天井は一体化)の3室を通しで、

あるいは、各2室相互を必要に応じて一体空間にできる広がりのある心地よい住空間を

作り上げている。 居間の南面は大きく引込めた大開口部で、外側上部に日射遮蔽装置。

むろん書院をもつ続き和室の構成は「住まい」の中の空間として更に見事である。、

 

大工の丁寧な仕事ぶり、、内部設え・収まりの繊細さも素晴らしい。、

2階の3段下がったところに設けたUタ-ン踊り場と1階上がり口の4段曲がりを合わせもつゆったりした勾配の幅広の階段は快適で、住まいの階段機能として得難いレベルを提供している。

 

また、外壁の塗り壁(モルタル+塗り)には現在もひび割れがなく、建築時のまま現在も健在な状況にあり、左官の丁寧な仕事ぶりに感心する。(メンテのペイントなど塗ってない)。 また外壁柱型と塗り壁(モルタル下地)の接する縦目地部分は漆喰納め?であり隙間や目地亀裂の発生がなく33年後の現在もも劣化がしていない。現代建築では当たり前のシーリング材やコーキング材のたぐいは使用されてない。

 

ちなみに本住宅の竣工時写真と33年後の今回の見学会で撮影した写真を比較してみると、住まい手が住宅という無機物に息を吹き込み、持続させ、今日まで生き生きと生気をみなぎらせて、心地よい「人間の住まい」を作り上げてきた事が解る。

 

そして全てにおいて設計と監理の綿密さをうかがわせ、「木造建築の仕組み」教科書に全編登場するにふさわしい在来工法による戦後和風住宅建築のモデルといえよう。

                                   (JS記)

なお、引用した竣工時の写真はNPO法人 木造建築文化総合センター発行の建築書籍「木造建築の仕組み」(中善寺登喜次著 相模書房発売)に掲載されているものである。  また、大澤邸を辞した後、近くにある高麗神社、高麗家住宅(重要文化財)、聖天院(総欅造り)を拝観した。                                   

 
                              
              
   3  1  2  
                                         竣工時外観(1976)                       34年経過後外観
                                         
                                               
   9  7  8  
                                        竣工時の座敷                       奥座敷の現況           
 
   4  5  6  
                                         竣工時居間                  和室から居間現況                 居間から和室現況
           
   10  12  11  13  
                                                     室内のきめ細かな収まり                            天井-壁の見切り
                                                            
   15  外壁柱(WOOD)と塗り壁(モルタル下地)の接合部(タテ目地部)は漆喰納めであるが、30数年後の今日、隙間の発生や目地の亀裂は全くみられなく(劣化がない)綿密で丁寧な仕事ぶりがうかがえる。コーキング材やシーリング材の使用は一切無い。  
 
 
                                       附:
  
 17  18  19  
 
                                                   高麗神社(埼玉県日高市)                        高麗家住宅(解体復元 重文)

 

 
  
 
   ■建築楽舎2009セミナー・見学記4数寄屋住宅の保存と活用:旧角川邸(木造1955東京                                                 杉並区)                            ;現 杉並区立角川庭園幻戯山房  設計 加倉井昭夫              
 
土曜講座「建築学舎<活き続ける「戦後のすまい>」の第4回講座「数寄屋住宅の保存と活用」現地視察と講義は、9月12日に、建築文化研究所長 福田省三氏講師のもと、杉並区荻窪にある旧角川邸において開催された。 担当講師の福田氏が準備されたセミナーのタイトルは、「事例 幻戯山房-旧角川邸を通して戦後住宅と再生を考える」である。
旧角川邸は庭とともに杉並区が角川書店創立者で俳人でもある故角川源義(げんよし)氏(1917-1975)の遺族から2005年に寄贈を受け、改修整備したうえ2009年5月に角川庭園・幻戯山房「すぎなみ詩歌館」として公開されたが、福田省三氏は、この旧角川邸建物調査等業務を受託担当した経緯がある。
当日は11時に荻窪駅集合、総勢11人。暫時歩むと次第に閑静な住宅街となり、間もなく旧角川邸・庭園出入り口に到着。建物の玄関までは独特な折れ曲がりスロープのアプローチ。 玄関ホール(広間)、展示室(元は応接室)を経て詩歌室-1に入り、福田氏による今回主題の講義となった。 南側庭に面したこのスペース(詩歌室)は、改修前は総ガラス戸からなる和室(居間)と食堂であった。
 
○角川庭園の概要:「杉並区立角川庭園・幻戯山房~すぎなみ詩歌館~のパンフレット」 から引用するとつぎの とおりである。
 ・建設年:昭和30年(1952)
 ・設計者 加倉井昭夫(1909-1988)(建設当初)
 ・敷地面積1,370.66㎡
 ・床面積:327.72㎡
 ・建築面積:230.81㎡
 ・外部仕上げ:屋根:桟瓦葺き一部腰葺銅板一文字葺
  棟造り:熨斗瓦三段積み、 下屋:桟瓦葺き一部腰葺銅板一文字葺熨斗瓦二段積み
  外壁:縦板張・じゅらく塗り・石張り
  軒天井:屋根及び下屋下地表し
 
○福田のさんの講義のなかからそのままいくつか要点を掲げると:    
 ・近代数寄屋表現、民芸運動の影響も見られる ・日本の伝統的玄関・広間の重視、
 ・玄関脇南側の応接兼書斎・古い日本の住まいの室内構成;2階客間・次の間二間続き(天井空間は連続し一   体的室内空間を構成)
 ・居間・茶の間:居間は中央部で東西に長く、可能な限り広い区画をもたないのびのび  とした空間構成 ・食   堂の位置も南側庭に面し、ふすまを開ければ居間と一体化。その天井仕上げは民家風の意匠。 更に庭    との一体化
 ・寝室の独立 夜間通風を考慮した1階和室
 ・台所、浴室、便所、洗面所等各室計画における本来的な配慮
 ・和室建築であるが、真壁式、大壁式を意匠表現としても適宜柔軟に併用。  
  ----等々加倉井昭夫氏の各室・空間そのあり方に対する設計思想を説かれた。
 ・和室聚楽仕上げの壁は、内外とも木摺下地。
 ・外周部に設けた何本もの引き戸建具。近代数寄屋の特徴といわれるが、引き込み建具は非常に多い。
 ・内部工事では、突板の質感の凄さ。
 ・加倉井氏の著作「日本の室内空間」(昭和43年、K.K主婦と生活社発行)では、上記などの他に、畳、敷物、壁   ・壁襖の裂地、天井、造作、戸、襖、障子、窓、床の 間、木材、竹材、照明、漆、金工など多方面について述
   べられているとのこと。
 ・歴史が育んだ日本建築の美しさへの設計者の思い。 
 ・施工は水沢工務店  
 ・後の増築部書庫は鉄骨造
 ・改修にあたっては、特に耐震性向上と水回りを重視。
 以上創建時の様子、増築工事の様子、 修理履歴そして、今回保存・公開に当たっての 改修についてそれぞ  れ具体的な内容を伺うことができた。
 
 なお、あとで気づいたことであるが、南面2階に長大に設けられたキャンチバルコニー(内に開かれ、外に閉じた屋上庭園の思想)についていえば、 昭和55年ごろ先導的プ レファブ住宅が導入して、低層住宅にデザイン的にも機能的にも優れていため一般住  宅にも広く普及していった建築要素が、すでに加倉井氏によってこの時期に採用されて いたことは特質に値しよう。
 また、入曽の町田邸(改修民家)で感じたことでもあるが、木造建築文化の価値を保つ 視点で見れば、施主と設計者による「先祖の遺産を受け継ぐ」思想のコラボレーション が如何に大切かを感じさせる見学会であった。
 
 角川庭園見学後はすぐ近くにある昭和56年開園の太田黒公園に立ち寄り、昭和8年に 建築された音楽評論家太田黒元雄氏の仕事場であった記念館(木造、レンガ色の外観)を見学。外周部の収まりディテールに感服。 帰途の喫茶室で、今日の講師福田さんを 交えてしばし歓談の後、荻窪駅にて解散となった。
 
     以下に写真をかかげる。
 

                                              旧角川邸(1952 東京 杉並区)
   
     
           展示室:元は応接兼書斎              茶室          何本もの引き戸の戸道  
       2階キャンチバルコニー空間:外に閉じ、内に開かれたバルコニー空間の草分け的存在:戦後日本に普及し、今日当たり前につくられているバルコニー形態のパイオニアであ  
         
      杉並区立太 田黒公園へのアプローチ    太田黒元雄邸記念館太田黒元雄邸                    記念館    
                                                                              
 
       

 



 
 
  ■建築楽舎第3回 昭和初期の木造建築---湘南 鵠沼を歩く  2011 2011年7月21日(木)                                                             コーディネーター:十代田知三     
                                                    photos:by J.Saitou2011
 
[Course] (小田急電鉄・藤沢駅)→橘①→市民会館②→石上から{江ノ電}石上駅⇒鵠沼駅→
       →松と玉石 垣の海岸通り③→境川沿い→④→江ノ島 夕焼け富士(台風一過)
 
 ①旧後藤医院 鵠沼分院1933 国有形登録文化財(H22)
 
      ②旧近藤邸1925国指定登録文化財(2002)
 
O邸(1935)
 
カトリック片瀬教会礼拝堂(1939)


①旧近藤医院 鵠沼分院  1933 国の有形文化財
 藤沢市が借り受け、「市民の家」として活用。 鵠沼地域への入り口として戦前の景観を想わせる。

 *ふじさわ景観まちづくり賞2009景観部門受賞
 

 
 
 十代田先生による本日の講義から
 スタート
   
     
     

随所に建築温熱環境計画上の工夫がなされている。気流を考慮した換気装置、二重窓、放射暖房等、健康・衛生面の考慮は特筆すべき、当時としてレベルの高い性能設計手法であり、、藤井厚二氏設計の「聴竹居」を思い出させる。 


②旧近藤邸(1925) 辻堂海岸の別荘を移築。国の登録文化財指定(藤沢市第1号)
 藤沢市が所有し、イベント等、市民にも貸したり活用。 設計は遠藤 新。(フランクロイドライトの高弟)

 
   
     
   



③O邸(1935) 別荘として建てられたが、その後住宅となる 右手に和館あり

 
 
                   (Photo:by T.Sosiroda)
 
   
     
       


④カトリック片瀬教会 礼拝堂(1939)

  時勢の影響を受けて純和風となったという。境川沿いの景観に寄与。

 
   
   
   
宣教師館(昭和初期)